南極の図書館

ペンギンが寝ていた…。

今春プログラマまたはSEになる方へ

4月まであと一週間ということで。
昨年書いたのはどうだったかなと見直したら、言いたいことがほとんど書いてあった。
今春“プロ”グラマーになる人が、あと1週間で学ぶ3つのこと(+1) - holyppの日記


簡単に言うと、「経験する前から頭でっかちになるな」ということ。
あるべき設計、あるべきコード、というのはもちろんあるんだけど、それよりも組織の一員として評価を得ることが大事なので、そこにフォーカスすべき。


そのあたりについて、つい先日のこの記事がとても良かった。
入社1、2年は「良き社畜」として騙され続けよ。 で、最後に1回だけ裏切ればいい 人気ブロガー 藤沢数希 聞き手:ライフネット生命保険副社長 岩瀬大輔|対談:入社1年目の教科書|ダイヤモンド・オンライン


中でも、特に良かったのはここ。

藤沢 ロジカルシンキングだかなんだか分かりませんが、指示されたことに対して理詰めで、これは間違っているなんて言う部下はやっぱりダメなんです。上司がバカなことを言ってもね、バカを承知で終電まで残って作業して、ちゃんとやって見せてくれる人が可愛いんですよ。

岩瀬 似たような話で、僕、「死んでもやれ!」と言われたことがあるんです。かつての職場にいた人の言葉です。「俺たちからすると、賢いかどうかはどうでもいいんだよ。頼んだことを絶対やってくるヤツが可愛い」って言われたんで、同じですよね。


この二人の経歴でもそういうことを求められた、というのは知っておくべき。
ただ1点気をつけなければいけないのは「理詰めで、これは間違っているというのをわかっている」のが前提で、それでもバカになってやること。
賢いかどうかはどうでもいいと書いてるけど、ホントのバカはダメだよ。だから「ロジカル・シンキング」などで勉強しないといけない。


それに、プログラマって理詰めなイメージがあるかも知れないけど、実際は体育会系のノリが強い。
コンピュータの相手より人間の相手をしっかりやらないといけない。そのために「人を動かす」も読んでおきたい。


そんな感じで、あとは 昨年のエントリで。


知らない人に悪口を言われたら

若いうちからネットでハッスルしていると、叩かれる理由には事欠かない。
私も好きにやっていた15~19歳あたりが一番叩かれた時期だった。そういえば、当時は「炎上」という単語は無かったと思う。


最近は叩く技術も多様化、高度化しているので反撃も難しいと思うが、当時はなんとか反撃のやりようもあった。
最終的には人数と時間を費やせるほうが勝つことが多かった。

2000年頃から、2007年まで

そんな中、本記事のタイトルに対する私の解答は10年以上前に固まっていた。
これはネットだけでなく、職場などでも当てはまる。タイトルのとおりの状況ならどこでも適用できる。
その私なりの解答について、自分以外の人の言葉で「これだ」と思ったのは、今から5年ほど前。

「一生ディナーをともにすることのない人に何を言われても気にする必要はない」


森理世さんが2007年にミスユニバースになった後、週刊誌でいろいろ書かれて悩んでいたときに、彼女を育てたイネス・リグロンが言ったそうだ。
私が飲みの席などでよく言うのは 「自分のことを良く知らない人間が言った悪口のどこに根拠があるのか。」 で、それに続けて上記を引用する。


自分をさらけ出してもいない「相手」に言われた悪口など、ただの言いがかり以外の何でもない。
ただし、その「相手」についてどこでラインを引くかというのは私の中で明確には決めていなかった。
そのラインとして「一生ディナーをともにすることのない人」というのは納得感があったので、それ以来ずっと基準として使っている。

そして2012年、2月29日

それから5年たって、またひとつの警句を見つけた。
今回は、我が意を得たりというレベルではなく、これこそが自分が見つけているべきだったというものだった。正直、10年前に教えて欲しかった。
言った人間がパリス・ヒルトンということで、まぁ、といったところではあるが、さすが本物のセレブだ。
私は今日初めて見たので2012年2月29日なんて書いたけど、この発言そのものは随分前のものなんだと思う。

When people you don't even know hate you, that's when you know you're the best.
(知りもしない人から嫌われたら、それはあなたが素晴らしいことを示している。)


ああ、そうか。言いがかりをつけられるってのは、確かに素晴らしいってことだ。
これこそ、自己を持ち、それを表現している人間が感じるべきものだ。


知らない人に嫌われたら「気にする必要はない」ではなく「あなたが素晴らしいことを示している」と感じるべきなのだ。


考えればすぐわかるが、これは十分理にかなっている。
陰口を言われた場合、例えば「あいつは能力が無いのに要領がいいから」とか「調子にのっている」とか言われた場合。
今までは「気にするな」と思っていたが、本来は「自分は陰口を言われるほど成長している」と思うべきだったのだ。


ビジネス本や、ありきたりの警句などはそろそろ卒業だと思っていたが、久しぶりに座右に置きたい言葉をみつけた。
私の役目としては、後輩に、とくにとんがったタイプにしっかり伝えていきたいと思う。
「よくわからんやつにバカにされたら、お前はすげーってことなんだよ」って。

「スティーブ・ジョブズ2」読了

ジョブズ熱もいくらか冷めた頃ということで、書くには良い時期かな。
スティーブ・ジョブズの自伝『2』について。
『1』ではジョブズの幼少時代からネクストまで、主に人間性について書かれていた。
『2』ではアップルの復帰から、ジョブズの成し遂げた多くのことについて書かれている。

目次

・あるべき姿のキーボード
・アップルストア
選択と集中

あるべき姿のキーボード

『1』を読むとジョブズは変人を超えて、一般的にいう「どうしようもないヤツ」だと感じる。
ただ、一生を通して正しいものを作るという芯はブレず、情熱も最後まで失わなかった。

この学生に、マッキントッシュのキーボードにサインしてほしいと頼まれたジョブズは、自分が会社を追い出されたあと、マックに追加されたキーを外していいならと承諾。車の鍵を取り出すと、まず、かつて自分が拒否したカーソルキー、4つを取り除く。続いて、最上段に並ぶファンクションキー(F1,F2,F3……)も外してゆく。
「僕は、あるべき姿のキーボードを世の中に広め、世界を変えていきたいとおもっているんだ」
とまじめな顔で宣言すると、ジョブズは、見るも無残になったキーボードにサインした。(P23-24)

アップルに復帰する前のエピソードだが、これこそジョブズという人をよく表している。同時に、アップルが如何に迷走していたかも。
ジョブズには製品に対するビジョンがあり、ジョブズ抜きのアップルにはそんなものは無かった。
ただし、それではジョブズの方が正しいのかというと、一企業としてはそういうわけでもない。
事実『1』ではジョブズのビジネス上の失敗がいくつも書かれており、決して順風満帆ではないことがわかる。


ちなみに、ジョブズが関与しているはずの今のMacのキーボードにはカーソルキーもファンクションキーもある。
時の流れ、時の試練によって、今ではどちらも必要であると判断したのだろう。
今のMacの機能を考えると、それらがないと明らかにキーが足りなくなるし。
(Macではファンクションキーをコンビで押すことによって音量や画面の明るさの調節、音楽プレイヤーの操作などができる。)
私が知ってる中で、今買えてどちらもないのはHHKBProくらい。HHKBLiteにはカーソルキーがあって、私は重宝している。
参考 Happy Hacking Keyboard Lite2を買ったらWindows+Lが押せなくて - holyppの日記

アップルストア

本書でもう一つ取り上げたいのはアップルストアについて。
なぜなら、アップルのやっていることで、私が唯一納得できなかったものだからだ。
具体的には、銀座と渋谷にあるアップルストアの存在意義がわからなかった。


『誰が、わざわざ銀座や渋谷にまでいって、Macを買うんだよ』と思っていたのだ。


もしかして、儲かってるから道楽でやってるのではないかと思っていたくらいだ。
もちろんそれは間違いであり、アップルストアの存在意義と、その成り立ちについては『2』にしっかりと書かれている。
目的はやはり「わざわざ出向いてMacを買ってもらう」ためにあるわけではなかった。
私は郊外の地代の安いところに大きい店舗を構えたほうがいいと思っていたが、それに対する答えがそのまま書いてあった。

「ウチの製品を見に10マイルも運転させるのは難しくても、10フィート歩いてもらうことならできるはずだ」
「十分に入りやすい雰囲気を作れれば、通りかかったとき、興味を引かれて立ち寄るはずだ。製品を紹介するチャンスさえ得られればこっちのものさ」(P134)

これを見ると、これこそが「アップルらしい戦略」だと思えてしまうから不思議だ。
銀座や渋谷を歩く人が、ふらっと入ってくれればいい。『製品を紹介するチャンスさえ得られればこっちのものさ』ということだ。


そのアップルストア1号店は2001年5月19日、ヴァージニア州タイソンズコーナーにオープンした。
ジョブズはそのために店舗のプロトタイプを6ヶ月も作りこみ、そして壊し、また作り直した。
最初のプロトタイプは、パワーマック、iMaciBook、パワーブックと製品ラインごとの展示としていたが、そろそろ完成かという頃にロン・ジョンソンは「4種類のコンピュータを中心に製品を配置するのではなく、『人々がしたいであろうこと』を中心に配置するべきではないか」と訴える。
ジョブズは一度「6ヶ月も必死こいてやってきたのに、それを全部ぶん投げようというのか!」と声を荒げるが、後から「ロンが正しいのはあきらかだった」と言うようにオープンが遅れてもやり直すことを決める。

「我々は根本的な間違いを犯しているとロンは主張している。製品を中心にするのではなく、人々がしたいことを中心にレイアウトすべきというのが彼の考えだ。」(P139)

2000年の話だが、これは今でも通じるはずだ。
アップルストアは細部にもジョブズのこだわりが行き届いており、階段については特許を申請しているほど。
2010年にはジョブズが「この店は、単位面積あたりの売り上げで世界最高だ」と言うほどの店舗となった。


私が「道楽でやってんじゃないか」なんて思っていたのはとんでもない勘違いだったわけだ。
とはいえ、休日の銀座アップルストアは人が多すぎ、ごちゃごちゃしていてあまり行きたいものではないけれど。

選択と集中

最後にジョブズの選択と集中について。
ジョブズが復帰したときのアップルは製品の種類が多すぎた。
そこでジョブズは「友達にはどれを薦めるべきなんだい?」と尋ねる。すぐに答えが返ってこないことに対し、

「君たちは優秀だ。優秀な人間がこんなお粗末な製品に時間を無駄遣いしちゃいけない」(P87)

そしてホワイトボードに「田」と書き

「我々が必要とするのはこれだけだ」そう言いながら、升目の上には「消費者」「プロ」、左側には「デスクトップ」「ポータブル」と書きこむ。各分野ごとにひとつずつ、合計4種類のすごい製品を作れ、それが君たちの仕事だとジョブズは宣言した。(P88)

これがパワーマックG3、パワーブックG3、のちのiMac、のちのiBookとなるのだが、ここまでシンプルなメッセージを私は知らない。


他にも本書ではジョブズの最後の仕事まで、つまりiTunes、iPodそしてiPhone、iPadとクラウドについて、また闘病と家族についてもしっかりと書かれている。
大筋ではそうだろうなというところが多かったが、ここまで音楽が好きだということには驚く人もいるかもしれない。
ページ数も400を超え中身も濃いので、2011年の本としては一番だと思う。私は滅多にハードカバーの本は買わないのが、これは買って良かった。
『1』も読むべきだが、1冊だけというなら『2』の方が良いかも。


「スティーブ・ジョブズ1」読了 - holyppの日記

悲鳴と嘔吐と技術記事

最近話題になっているこちら。
普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。 - 真性引き篭もり
私はきっと、この方の文章を初めて読んだのだと思う。
第一印象は、ああ、これはすごいなぁと。明らかに「本物」なのに、今まで見つけられなかったのはなんでだろう?と思った。
こういうパワーのある記事は私はとても好きなのだ。


その後、各所の反応を見ていると久しぶりの記事だったらしい。なるほど。
で、その反応というのがまたすごい方々の、すごい内容だった。
件の記事そのものについてというよりも、そもそも書くとはどういうことかという話になっている。いくつか引用させていただく。


はてなダイアリー

長い? そりゃときどきは長いでしょうよ。つーか長いとか短いとかどうでもいいのよ。

スカスカ? 違うよ。趣旨がどうとかいう問題じゃないの。俺らは真性さんがロックしてる現場でその歌声を聞いてりゃいいのよ。

マジキチ? あたりまえだろうが。狂ってナンボっすよ。絶叫なんざ悲鳴でありゃあるほどかっこいいんすよ。まともな言葉なんざいらねえよ。


「ネットの片隅に咲くドクダミの花の匂い」 - シロクマの屑籠

ここまで人事のように書いてきたが、この“シロクマの屑籠”なるblogも、ある程度まで日向に適応してしまった、と思う。昔は「嘔吐」などと称し、情念丸出しの文章を、見境無く連投していたように思うが、最近はそういうことをあまりしない


この悲鳴とか嘔吐というのは、つまりパワーであって、そしてブログの価値とは純粋にそのパワーであると思う。
呪詛でも金(カネ)でも、きっかけはなんでもいいが、その溢れるパワーが重要であって、知性やら理論なんてのは必要無い。


ただ、そういうパワーをぶん投げ続けられる人というのは本当に一握り。ブロガーの上澄みの1%をすくい、更にそこから1%をすくうほどの割合。
だから私は、「書ける人は書ける人、書けない人は書けない人、はい終わり。」とずっと思っていたし、今回も自分でそう結論づけて終わろうとしていた。



それなのに今回このエントリを書いておこうと思ったのは、パワーをぶん投げ続けられないことに対する的確すぎる理由を見つけてしまったから。
私の考えてることはそう、まさにこれだよ。と言いたくなるほどピンポイントに。
こういう思いをもって、人は叫ばなくなり、吐かなくなる。


1996年、「僕達のインターネット」を指咥えて見ていた小学生の話 あるいは「真性引きこもり」という現代に生きながらえる呪詛について - mizchi's blog

2009年頃、「ミームの死骸」のはっしゅさんに煽られてブログを書き始めたのだが、僕は半角さんほど、世界にも、インターネットにも絶望出来なかったようで、粘着の相手するのに疲れて、無難な技術記事ばかり書くようになってしまった。技術記事は誰も不幸にしないので良い。


「技術記事は誰も不幸にしないので良い。」


そう、技術記事は誰も不幸にしない。
逆に言うと、パワーのある文章は誰かを不幸にする。というか、実際のところは『不幸になりたがっている人』がここぞとばかりに突っかかってくる。
私も15年ほど前、バカな高校生の頃からテキストサイトを作ってうだうだ顰蹙を買う文章を書いていたり、暇な大学時代にネットゲームをやって廃人を煽ったりしていたわけだが、結論としては上記のとおり「誰も不幸にしない記事」を書きたいと思うようになった。それも匿名で。


ちなみに、高校時代にやっていたテキストサイトは、半年ほど書いた頃、何故か同じ高校の女の子に見つかった。
15年ほど前なので、PCを持っている高校生というのはわりかしレアで(特に私の周りでは)、しかも無名のテキストサイト、もちろんリアルについてはぼかして書いていたのだが、ある日突然メールが来たのだ。


「◯◯高校ですよね?私もそうです。良ければメール下さい。」


なんのホラーかと思った。
1時間以内にサーバの中身を全部消した。


404 Not Found.


しかし安心はできない。今の時代と比べるほどではないが、データを取られていたらそもそも終わりである。しかたなく連絡を取ることにした。友好的に。
結局、なんら悪い人ではなく(むしろとても良い人だった)「メル友」として半年くらいメールをする仲になった。
同じ学年だが全く面識のない、元気な女の子だった。会話は数えるほどしかしなかったと思う。あまり覚えてない。


その後、大学のときにネトゲで廃人を煽ったときはそれよりも怖い目にあったわけだが、今回は割愛する。
ネット上に何か書いている人というのは、こんな風にいろいろなことがあって「誰も不幸にしないであろう記事」を書くようになっていくのだと思う。


考えてみると、バッファローマンくらいの超人強度がありそうなid:nakamurabashiさんも一時期「いろいろあって慌ててヤバい記事を消している」ようなことを書いていたことがあった。
私は「え、今さら?」と思ったが、そういうものなのだろう。

「スティーブ・ジョブズ1」読了

1を読み終わった。ジョブズの伝記ではあるが、私はウォズニアックが出てくる度に興奮した。
残念ながら、後半ではウォズはほとんど出てこない。その役割はジョン・ラセターが代わって引き受ける。
大きく見ると、前半はウォズのパトロンとして、後半はラセターのパトロンとして活動したことがジョブズの成功の素だった。
おそらく2ではそういう色が薄まり、ジョブズ自身の活動がメインとなっていくのだと思う。
ここでは、本筋とは違うが主にウォズに関する箇所について書いていく。

アタリのボーナス

ウォズは親から、エンジニアリングが世界で最も重要なものであること、正直であること、そして中庸が一番だということを教えられて育つ。
最初の有名なエピソードは、アタリでジョブズの仕事をウォズが手伝うシーンだろう。
ウォズは「複数のエンジニアが2〜3ヶ月かけてつくるゲーム」をたった1人、4日完徹で完成させる。
ただその天才性よりも「そのボーナスをジョブズがちょろまかした」というエピソードの方が有名で、それについてP101にいろいろと書かれている。
ウォズは「正直に言ってくれたらよかったのにとは思うよ。お金が必要だと言ってくれればぼくの分はあげたのに。彼は友達で、友達は助け合うものなんだから」と言っている。後述のIPOの件も含め、ウォズの人柄が表れている。

アップル設立

アップルIを作ったときも、ウォズはみんなにタダで配ろうと思っていた。
そこでジョブズが「売ったほうがいい」と言い、会社を作ることになる。
ウォズは当時貧乏だったが、お金が儲かるかどうかよりも、自分の会社が持てることに興奮する。

「自分たちがそんなことをすると思っただけで元気が出たよ。親友とふたりでいっしょに会社をはじめる。すごい。すっかりその気になったよ。やるしかないよね」


そしてウォズは電卓を売り、ジョブズは車を売ってアップルを設立する。
当時の二人がどんなものかはP115でロン・ウェインがこう言っている。

「まったく似てないふたりでしたが、パワフルなチームでした」
ジョブズは悪魔が憑いているのではないかと思うような言動をすることがあったが、逆にウォズはナイーブで、天使とたわむれているような人間だった。


かといって、ウォズは決して自分の能力に無自覚なわけではなく、役割分担をわかっていた。
ウォズの父が、ジョブズに「おまえはたいしたことをしていない。なにも作っていないじゃないか」と言うシーンがある。
ジョブズは泣きながら、パートナーシップを解消してもいいとウォズに提案するが、ウォズはそのままで良いと言う。


一方、さすがにギークらしく、ジョブズを相手に強く意見をいうこともあった。
アップルIIのとき、ジョブズは拡張スロットを2本にすると言ったが、ウォズは8本を主張した。

「ぼくが人と争うことはめったにない。でも、このときだけは違った。『どうしてもそうしたいのなら、どこかほかでコンピュータを手に入れろよ』って言ってやったんだ。」


開発者としては気持ちの良い言葉だ。こんなに良いものは自分以外に作れるわけがないというわけだ。
ただ、それに続けて「あのころのぼくは、こう言えるだけの立場にいた。でも、ずっとそうだったわけじゃない」とも言っている。
結局、アップルIIの拡張スロットは8本になる。
アップルのIPOのときも、ジョブズはとてもシビアだったが、ウォズは自分の株式を職位が高くない社員40人に安く売った。それは家を買えるくらいの額になった。
IPOの後は、あまりウォズの話は出てこなくなる。

その後

アップルIPO後、ジョブズは紆余曲折がありつつもマッキントッシュを作ることになる。
ウォズはしばらくアップルIIの部署で開発を続けるが、退職する(結局、アドバイザーとして留まることになる)。
ジョブズはアップルを追い出され、NeXT、ピクサーと活動の場所を変えていく。
NeXTでは結果的に失敗に終わり、ピクサーで資金が底を付きそうになる。
それでもジョブズはジョブズでありつづけ、ラセターとともにトイ・ストーリーを成功させる。
その間に結婚もするし、子供も生まれる。
そこまでが「スティーブ・ジョブズ1」で書かれている。


率直な印象を言うと、ジョブズはLSDもやるし風呂には入らないし嘘はつくし人の話を聞かない。
どうにもこうにもダメ人間という印象が拭えないが、強さがある。
ここぞというときの強さ、それに人を惹きつける力がある。
2は、アップルに戻るところから。ここからが本番だと思っているので、続けて、楽しく読んでいきたい。


はてなブックマークでRSSリーダーにいれるべき、たった一つのタグ

これ、入れてみてはどうか。
タグ「インタビュー」を検索 - はてなブックマーク


何年か、いろいろと見てるけど、私が安定して面白いと思うのはこれだけ。
実に3割くらいは面白い記事で、それはすごい高い確率だと思う。野球の打率と同じだね。


他に、RubyVim、お役立ち、ガジェットなどをはじめ、いろいろと入れてるけど、それらの記事はやっぱりピンキリで、そこから自分のフィルターが必要になってしまう。
それらの本文は、総合すると1割も見ないので、かなり弾く必要がある。


インタビューというのはすなわち、あるテーマにそった成功者の言葉だ。
ほとんどは、私のような凡人が考えられないくらいストイックな思想をもとにしているし、そうでなくても、自分では考えつかないような面白い(新しい)視点のものが多い。
手塚治虫
「一流のマンガ家になりたいのなら、一流のものを読んで、一流のものを観て、一流のものを聴きなさい。」
と言っていたが、それは真理だと思う。


はてブはあんまりなぁ」という人も多いと思うけど、「インタビュー」タグは一ヶ月くらいチェックしても、悪いことは無いと思うよ。

資料作成で意識すべき3つの要素

仕事のお話。


私は6月に入ってから、何故かいろいろな資料を作っている。
その過程として、いろいろな材料を頭の中でぐるぐる回すことになるわけだが、帰宅してからもぐるぐるぐるぐる回している。
そんな感じで日記もろくにかけていなかったので、このタイミングで、えいやと一つ書いてみる。


資料作成とは、例えばWord文書、Excelワークシート、pptスライド。
こういうものを書くにあたり、何も武器を持っていなかった頃と比べると、今はいくつかの約束事を意識しているな、と思う。
今回はその中から2つの見出しで、要素としては3つについて書く。

MECE×粒度」を意識する

個人的には、全ての前提として意識していること。


資料に求められるものは、まずMECEであることで、それも正しい切り口でなければ、どんな情報も意味を成さない。
次に、それがどれくらいの詳細さ(資料の各項目の粒度)であるかで資料の価値が決まる。
大きくまとめて抽象的に書いて良いのか、それとも詳細を書くべきなのか、書くならばどこまで書くべきなのか。


詳細さについては、大きく2パターン、つまり粒度からか時間からか、実際は二択となる。
時間は最も重要な資源であり、この資源の量を増減できる立場なのか、そうでないのかでスタンスは自ずと決まる。


自分が案件(正確にはスケジュール)を握っていない場合は「時間主導」とせざるをえない。
つまり3時間と言われたら3時間なりの、10時間と言われたら10時間なりの詳細さで書く。
ここで 「10時間与えられても、抽象的に書いたほうが良い場面はないのか?」 という質問がある。
これは「無いわけではない」くらいの頻度で、具体的には10回に1回も無いので意識しなくて良い。
「使われる人間」に与えられる時間は少なく見積もられるので、与えられた時間でどれだけ詳細に書いても「荒い」場合が多い。
(その場合は、納期は納期なので荒いまま出していいと私は思う。「時間は無いが詳細な資料を出せ」は無理な相談だ。)


一方、自分がイニシアチブを取れるものであれば「あるべき粒度」を元に時間を書き換える。
「あるべき粒度」とは、その資料を見る人が最も喜ぶ粒度であり、これはこれでなかなか難しい。


さて、MECEと粒度のどちらを強く意識するのか、というとMECEとなる。
粒度は上記の通り、外的要因が関わるというのもあるが、そもそも資料に必要な項目が漏れていると話にならないからだ。
ただ、一口にMECEと言っても切る方向というのがあり、正しい切り口でなければ方向性の間違った資料となってしまう。

自分のスタイル

ここまで、資料作成中にぼんやり考えていたことを書いてみた。
上記が原則として考えていることだとすると、ここから書くことは無意識にしていることになる。


つまりスタイルの話。
人の作るものには、なんであれスタイルが出る。
考えてみると、私の資料は「思い切って荒く」するところに特徴があるような気がする。
私が大事だと思うのは「相手が知りたくないことは書かない」ということだ。
……と書いてみたら、少しニュアンスが違う。
正確には「書くべきではないことは、思い切って書かない」ただし「相手が求めそうなことは添付資料として用意する」かな。
(具体例を書こうと思ったけど、時間も時間なのでこのへんで割愛させていただきます。)
それで成功したことも、大失敗したことも、もちろんある。

まとめ

まとめると「MECE」「粒度」そして「自分のスタイル」を意識することで、資料作成能力は洗練されていくよ。ということ。